中西麻耶の事故の真相とは?結婚してる?加藤大治郎の大ファンだった

今回は陸上競技選手・中西麻耶(なかにし まや)さんについてみていきましょう。

中西麻耶について!

中西麻耶さんは、義足(右脚下腿切断)の陸上競技選手として活躍し、北京パラリンピック日本代表、ロンドンパラリンピック日本代表。リオデジャネイロパラリンピック日本代表を務めました。

陸上競技障害クラスT44で、日本記録・アジア記録保持者という実力者です。

リオパラリンピックの際は、陸上女子幅跳びに可愛い選手がいる!と話題にもなった中西麻耶さん。

なぜ右足を失うことになってしまったのか?調べてみました。

事故の真相とは?

幼い頃から運動センス抜群で、中学から始めたソフトテニスで頭角を現わし、高校総体や国体にも出場していた中西麻耶さん。

高校卒業後も2008年の大分国体を目指して競技を続け、「肉体労働ならトレーニングになる」と塗装工となりました。

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しかし2006年9月、現場で作業中に重さ5トンの鉄骨が崩れ、彼女の右脚を押しつぶしてしまいました。

目標だった大分国体の県代表を決める重要な大会の2日前のことだったといいます。

「痛い」と思ったのは一瞬で、あとは何も感覚がありませんでした。
一件目の病院では「治療は無理」と言われ、次の「太陽の家」の中村病院で、切断をするか、あるいは時間がかかっても神経をつなぐか、の選択を迫られました。
神経をつなぐのに2年はかかる、しかもうまく繋がったとしても、右足が元のように、自分の体重に100%耐えるのはおそらく無理だろう、と聞いた彼女は、両親の反対を押し切って、足の切断を選択したのです!

2008年の大分国体で現役を引退するつもりだった中西麻耶さんは、とにかく早くコートに戻ることしか頭になかったのです。

中西麻耶さんにとってはテニスが人生の全てでしたので、入院している時は、義足さえつければ元の自分に戻れるとばかり思っていたそうです。

地元の装具士に「テニス用の義足をお願いします」と言ったら「そんなものはないから無理だ」といわれ、その時初めて少しだけ切断したことを後悔しました。
「えっ!?義足もないのに、私、切断しちゃたんだ……」と。

しかし、負けず嫌いの中西麻耶さんは、「いつか、見返してやりたい」と思ったそうです。

脚を失い、生きがいを失い、自分自身さえも失ってしまいそうだった中西。彼女を救ったのが、「そのままの麻耶ちゃんでいいんだよ」という言葉。中西の義足を手がけることになる義肢装具士・臼井二美男氏のひと言だった。
臼井の勧めで陸上競技を始めると、「風を切って走るのって、気持ちいい」と、本来の明るさと前向きさが戻った。
一度、目標を定めると無我夢中に突っ走るのは真骨頂。わずか半年で100メートルと200メートルの日本記録を更新した。

臼井二美男氏は、切断障害者のための陸上クラブ「ヘルス・エンジェルス(Health Angels)」を創立した方です。

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臼井さんに誘われて初めて観に行ったのが、熊本であった「九州チャレンジ陸上競技選手権大会」だったそうです。

中西さんは、ソフトテニスに戻りたいと思ってリハ ビリをしていたのですが、テニスは前後左右に動く必要があります。
それに対して陸上はまっすぐ走る動きなので、まずは、まっすぐ走ることを学び、それから左右の動き に応用しようと考えていたそうです。
しかし陸上の練習をしていくうちに手応えを感じた彼女は、とことん極めてみたくなっていきます。

右足を切断するという大きな人生の岐路に立たされた中西麻耶さんですが、今後は陸上選手として競技人生を送っていくのですね。

結婚してる?

中西麻耶さんは結婚している?という噂がありますが、未だ独身です。

ご家族は両親とお兄さん、妹さんがいらっしゃいます。

ご両親は大分で椎茸栽培をされています。
中西さんは生まれが大阪なのですが、8歳の時お父様が脱サラして大分に引っ越し、椎茸農家を始めました。
中西さんも手伝いに行ったりしていたと、ブログに書いていました。けっこうな重労働のようです。

お母さんはみどりさん。ブログでは、 「五体満足のままいられなくてごめんね」と謝っていました。

お兄さんはお医者様ですが、中西麻耶さんが義足になったことがきっかけで、医者の道に進んだということです。

とても優しい家族のようですね。

妹さんは結婚してお子さんもいらっしゃいます。

お姉さん思いの優しい方で、中西さんが事故にあった時は宮崎の学校にいっていたのですが、毎週お見舞いに来てくれたそうです。

加藤大治郎の大ファンだった

中西麻耶さんはオートバイロードレースレーサーの加藤大治郎さんの大ファンだそうです。

加藤大治郎さんは大ちゃんの愛称で親しまれていましたが、2003年、レース中の事故でこの世を去ってしまいました。まだ26歳の若さでした。

・え、それは気づかなかった。まさか加藤大治郎リスペクトとは。日本ではあまり名が知られてないけど、イタリアには加藤大治郎通りなんて道があるくらいの人物。あの鈴鹿のシケイン事故から13年か……
いやあ、まさか日本にもこんなアスリートがいたなんて。彼女にとっては加藤大治郎は永遠のヒーローなんだろなあ。

海外では有名なレーサーでしたが、日本での知名度はあまり高くなく、年代もスポーツ種目も違う中西麻耶さんが知っているのにも驚きですね。

アスリートとして、心から尊敬しているのでしょう。

この辺で中西麻耶さんの紹介は終わりです。

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