小松政夫の若い頃まとめ!画像やエピソード、現在まで

今回は喜劇役者の小松政夫の若い頃について取り上げてみたいと思います。

画像やエピソードをたくさん紹介しますのでお楽しみに!

小松政夫の若い頃

まずは小松政夫さんが生まれた時までさかのぼって見ていきましょう。

右のお母さんに抱きかかえられているのが小松政夫さんです。

小松さんは7人兄弟の5番目の子として、福岡県博多市で生まれました。お父さんが実業家で、お金持ちの家庭だったようです。

実父は地元の実業家で名士だったが、小松が13歳の時に病死し、以後家族は貧窮を極めた。この頃、小松は自宅前の焼け跡で行われていた露天商の口上をよく見聞しており、サクラがいるのを知っていたという。それらが自然と身に付き、学生時代から現在に至るまでの小松の明るさや笑いのセンスは作られた

小松さんの明るい性格はこの時に形成されたんですね。

↑こちらは小松さんが小学生の時の写真。

こちらは小松さんが中学生の時の写真。

パッと見て明るい人柄が伝わってきますね。

高校生になると、定時制高校に通いながらお菓子屋さんで働くなどかなりの努力家だったようです。

トップセールスマン時代

その後は夢だった役者を目指すために18歳で上京することになります。

しかし、俳優座の入学金が高かった事もあって、一時は諦めて他の職を転々とすることになります。

すし屋、マグロ問屋、花屋、ケーキ屋など、数々の
仕事を転々として、複写機販売会社の営業マンとなります。

そこで、持ち前のセールストークでトップセールスマンとなります。

トップセールスマンって凄いですよね…!

小松さんにとって営業は持ち前の明るさと話術が存分に活かせる職業だったのでしょうね。

さらに、この時の活躍が評価され、横浜のトヨペットに引き抜かれます。

トヨペットとは自動車のブランドですね。

その当時の画像がこちら

トヨペットでも営業成績は抜群で、
大学卒の初任給が1万円前後だった時代に、10万円以上もらっていた

なんと大卒初任給の10倍のお給料を貰っていたそうです。

この数字だけ見ても、小松さんがいかに優秀な営業マンだったかが分かりますね。

自動車セールスマン時代の小松はセールストークに長けていたようで、教習所と交渉し、受講者に免許を5日で取得させる手筈まで整えて、免許を持たない人にまで車を買わせるなどし、自動車がまだ高値の花だった当時に、月22台も売ったこともあった。

そういった顧客とのセールストークや会社内での上司との丁々発止のやりとりにより、小松は周囲から人気を獲得。周囲から押し上げられる形で、小松はコメディアンを志す。セールスマン時代の体験は、後に数々のギャグの礎となった。

最初は俳優志望だった小松さん。コメディアンを志すようになったのはこの頃だったんですね!

そんな時に週刊誌で「植木等の付き人兼運転手募集」という広告を見つけます。

そして小松さんは600人の応募の中から見事植木等さんの付き人に選ばれることになりました。

こうして順風満帆な営業職から植木さんの付き人になる事を選んだ小松さんですが、なんとお給料は1/10以下になってしまったそうです。

セールスマン時代は初任給1万円の時代に月給12万円を稼いでいたが、植木の付き人兼運転手時代の月給はわずか7,000円だった

しかも睡眠時間もほとんどとれない日々が続いたそうです。

しかし小松さんは当時を振り返り「辛くはなった」と語ります。

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「全然つらくなかった」「尊敬する一流の師のそばにいて、お世話ができる。それだけで幸せでした」

↑植木さんとのツーショット。

また、小松政夫さんと植木等さんの出会った時のエピソードとしてこんなものがあります。

小松さんが初めて植木さんと対面したのは植木さんが入院いた時だそうなのですが、その時にこんな事があったようです。

「君は父親を早くに亡くしたようだ。私のことを父親だと思えばいい」と言われ、
「あっ、私は一生この人についていこう、と思ったくらい感動したといいます。

植木さんも相当な人格者だったのでしょうね。

芸能界入りへ

その後は植木さんの計らいもあり、小松さんは芸能界入りすることとなります。

付き人兼運転手を約4年間務め、タレントに転身する際、植木からかけられた言葉は「お前、明日からもう俺のところには来なくていいからな」というあまりに突然なものだった。

この言葉に小松は驚くとともにクビなのかと一瞬当惑したが、続けて植木は「実はな、社長と話してお前を正式にタレントとして一本立ちさせてやりたいってお願いしたんだ」「そうしたら社長も大賛成でな、お前のマネージャーも給料も、全部決めてきたから」とその真意を語った。「そろそろデビューする頃か」などの前フリも無く、何年ぐらいで独り立ちできるかも知らず、覚悟すら出来ていなかった時期での発言であった。

植木から言葉をかけられた後は運転中に涙がボロボロとこぼれて運転ができなくなってしまい、一度路肩に車を停めて大泣きしながらそれを植木に謝る有様だったが、植木は「うん、べつに急いでないけど、そろそろ行こうか」と優しく宥めたという。この時のことを、小松は「目にワイパーが欲しいぐらいだった」と後に述懐している

wikipediaより

突然の出来事だったということで、感情が溢れてしまったのでしょうね。

それにしても植木さんも粋なことをしますよね笑

その後、小松さんは人気コメディアンとしてお茶の間の人気者に。

特に伊東四朗さんとのコンビは1970年代を代表する名物コンビとなりました。

 

 

現在は?

現在小松さんは76歳。まだまだご健在でいらっしゃいます。

コロッケさんのファインステージという事務所に所属していて、映画やお芝居やお笑いなど幅広い分野で活動を続けていらっしゃるようです。

ちなみに、映画に出演時の画像がこちら↓

こちらは映画「振り子」に出演された時の画像。

↑こちらは「岸部の旅」という映画に出演された時の画像。

また、ご自身の芸能界50周年記念公園では芸人のはなわさんと共演もされました。

また、小松さんは社会法人日本喜劇人協会の10代目会長を務めるなど精力的に活動をされているみたいです!

ご自身も生涯現役を使われていますね。

わたしも今年で75歳になりました。

でもあと10年は、いや身体が動かなくなるまでは一線でやっていきたいと思っているんですよ。

これからの小松さんの活動にも注目ですね!

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